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sanluisreyのブログ

演劇/映画/音楽/数学に関心

【感想】映画『ラ・ラ・ランド』

公開初日に見に行って、クオリティがありながら、誰にでも受け入られる完璧な作品だと初見でまず思った。しかしながら、売れれば当然あるのは頭で理解していたが、以下のように少なからず批判があるのは感情的には意外だと思ってしまった。

ララランドに感動する方法|akiko_saito|note

 

他人の感想を気にしても仕方ないが、あまりにも演出に対して無理解で、表層的な皮肉で、不誠実ではないか。他にも話題になっていた”映画評論家”のレビューを読んだが、映画の本質とは関係のない批判をしていて、暗澹とした気持ちになってしまった。仮にも評論家はアートという文化を支える役割を担うはずなのに、と日本の芸術文化の貧弱さを嘆いてきた一観客として、ネガティヴになってしまう。

 

物事は何でも光の当て方次第なのであろう。確かに冒頭のミュージカルシーンは映画らしくないオープニングで、全体の物語も浅いかもしれないが、そもそもミュージカルはリアリズムとはかけ離れていること、あえてミアとセブの二人の関係にフォーカスするようにシンプルに構成されていると理解し、肯定的に捉えていた。

 

それよりも、ミアがパーティに参加し、ミアが化粧室の鏡を見て、"Someone in the cloud"が流れて始まるシーンで、その化粧室から出て、ミアがゆっくり進むとき、周りのパーティーの参加者がストップモーションで、ミアの周りの俳優だけパートナーとキスをしたり、抱き合ったりする、そして、ミアの周りで白い雪のようなものが降り、俳優がダンスする、一人がプールに飛び込み、全員が動き出すパフォーマンスはあまりにも素晴らしかった。初見ではここから完全に魅了されてしまった。他にも、冒頭のカフェのシーンで有名な女優が訪れるシーンと最後のミアが同じようにカフェを訪れるシーンを全く同じ演出にすること、照明のスポットライトを当ててミュージカルを始めるなど、演劇的な演出が用いられていた。映画の方が自由度ははるかに高いが、映画も演劇の一部で、パフォーマンスの要素を意識させ、監督の非凡さを感じずにはいられない。

 

そして、最後の”if”のシーンでは、ミュージカルという非リアリズム的演出法の必然性を感じさせる完璧なシーンである。美術もあまりにも素晴らしい。特に、『リアリティのダンス』の最後のシーンを連想させる、川沿いを歩くミアとセブのシーンの美術。演劇において、ミュージカルはアートとして成功させるのは非常に難しく、現状のミュージカルに不満をもってブレヒトが書いた「三文オペラ」や、栗山民也の演出の『スリルミー』という珠玉なミュージカルなど成功例は少ない。もちろん、娯楽作品として成功しているのはたくさんある。それを踏まえれば、ミュージカルという演出法で、ここまでアートとして、かつ、エンターテインメントとして、成功させたのは驚異としか言えない。メロドラマや無駄を配したシンプルなストーリーに批判的だとしても、俳優の演技や美術、演出の技巧に気が行けば、評価せざるを得ないはずである。少なくとも、ララランドに最も影響を与えた『雨に唄えば』を今見ると面白くないと思うはずで、それと同じ手法を用いて、ここまで魅力的な映画を作れるのはミュージカル映画としても驚きのはずである。

 

映画の技法などを知り尽くしている人から見れば、欠点があるのかもしれないが、演劇に慣れ親しむものから見れば、洗練された作品だと思った。デビッド・リンチの映画と比較する意見が少ないながらも見受けられたが、リンチのように技巧的に拗れているような映画と優劣を比べるよりも、映画・舞台の目的は観客に変化を与えることだと立ち帰れば、素直に感動した方が一番良いのである。

 

最後に、最も印象に残ったセリフ

「ほんの少しの狂気だけが新しい光をもたらす/

She told me: A bit of madness is key to give us to color to see」

ミアが夢を叶えたのは、リスクを取ったからである。夢を実際に叶えたかどうかという結果も重要だが、それよりも、少しの狂気で、夢のためにリスクを取ることこそがこの映画の一番のテーマだと思った。